La légende de la Cité d’Ys 「水に沈んだイスの町」と言うブルターニュの物語り


Notre adhérente, Mioko GOHIRA, nous raconte ici en langue japonaise la fabuleuse légende de la Cité d’Ys et du Roi Gradlon de Cornouaille en Bretagne … On dit que la ville d’Ys était la plus belle capitale du monde et que Lutèce fut baptisée Paris car « Par Ys » en breton signifie « pareille à Ys ». Deux proverbes populaires bretons en témoignent :

Abaoue ma beuzet Ker Is
N’eus kavet den par da Baris
Depuis que fut noyée la ville d’Ys
on n’en a point trouvé d’égale a Paris

Pa vo beuzet Paris
Ec’h adsavo Ker Is
Quand Paris sera englouti
Resurgira la ville d’Ys

ブルターニュは、民話と伝説の宝庫と言われています。ブルターニュの人々は昔から、海の向こうのウェールズやアイルランドと頻繁に行き来し、ケルト文化圏を形成していました。そこへ東からキリスト教が流入し、長い融合の時期を経て、今日見られるような独特の文化が出来上がったのだと考えられています。

海に囲まれ、厳しい自然と向き合う人々は、熱心なカトリック信者として神を畏れ、死者を敬ってきました。けれどもその信仰には、ケルト人が大昔に崇めていた、異教的なものが根強く残っています。キリスト教と異教。この二つの要素はまるで通奏低音のように、ブルターニュの民謡や伝承に響き渡り、長いあいだ人々の魂を揺さぶってきました。

ここでは日本にはまだあまり知られていない、そうした伝承のいくつかを、数回に分けてご紹介いたします。

La fuite du Roi Gradlon
La Fuite de Gradlon, vers 1884, huile sur toile. Musée des beaux-arts de Quimper.

水に沈んだイスの町(その1)

ブルターニュ半島を西に進んでいくと、フィニステール県に行き当たります。

「地果つる場所」という名の通り、その先には茫漠とした大西洋がうねるばかり。この県を代表する大きな都市は二つ。北には軍港で有名なブレストが、そして南には、焼き物で知られるカンペールがあります。このカンペールの周辺はコルヌアイユと呼ばれる地域で、伝説によると五世紀頃、グラドロン王という王様がこの地を治めていました。

グラドロン王は、海辺にイスという名の都を建てて、そこを国の首都にしました。町には何百もの聖堂が立ち並び、その立派なことといったら、パリにも負けないくらいだったといいます。

町のまわりには高い堤防がめぐらされ、人々を海水から守っていました。堤防には水門が設けられていて、干潮時にはこの水門を開けて水を取り入れ、満潮時にはしっかり閉じて、水を締め出す仕組みでした。この水門を開け閉めする黄金の鍵を持っているのは、グラドロン王ただ一人でした。

さて、グラドロン王にはアエス(またの名ダユー)という美しい娘がありました。王その人は、聖コランタンの教えを受けて、キリスト教に帰依していました。聖コランタンは愛弟子の聖ゲノレをイスに遣わし、グラドロン王の霊的指導者といたしました。王はこの聖ゲノレを師とあおぎ、行ない正しく暮らしていたのです。

ところが王女アエスは、ふしだらな娘でした。気に入った男を夜な夜な寝所に引き入れては、飽きたら黒い仮面をかぶせます。この仮面は、一度頭にかぶさったが最後、決して取ることができない魔法の仮面なのです。哀れな男は窒息して死んでしまいます。すると、家来たちがその遺体を、深い淵に投げ込んで始末するのでした。

イスの町の住民たちも姫のまねをして、富と色欲に溺れ、町は悪徳にまみれていました。人々を立ち直らせようと、聖ゲノレがいくら教え諭しても無駄でした。そこでとうとう神様は、天罰を下すことにしたのです。

あるとき、一人の見知らぬ貴公子がどこからともなく現れ、姫の心を奪いました。この男は、実は悪魔でした。男は姫に、愛の証として水門の鍵を渡してくれ、と迫りました。姫は初めのうちこそ拒んでいましたが、とうとう男の言うがまま、寝ているグラドロン王からそっと鍵を盗んで渡してしまうのです。

悪魔が、アエスから渡された鍵で水門を開けると、どっと海水が町になだれこみました。人々は逃げる暇さえなく、壮麗な建物も美しい庭園も、何もかもがあっという間に水に呑みこまれてしまいました。

グラドロン王は危ういところを聖ゲノレに起こされ、駿馬に乗って、命からがら逃げ出しました。そのとき王は、アエスをつかんで自分の後ろに乗せました。そのとたん、馬の歩みが鈍くなったのです。波はすぐそこまで迫っています。聖ゲノレは、叫びました。

「その娘を乗せている限り、陛下は助かりませんぞ。娘を落としなされ!」

二度、三度と促され、とうとうグラドロン王は断腸の思いで、愛娘を海の中に突き落とました。哀れなアエスは悲鳴を上げながら、水の中に沈んで行きました。

辛うじて落ち延びたグラドロン王と聖ゲノレは、そののちカンペールに新しい都を建てました。

一方、水底に沈んだアエスは人魚になって、マリー・モルガンと名を変えました。そして美しい声で歌を歌い、漁師たちを惑わしては、水の中に引き入れるということです。

この伝説の起源は、はっきりしていません。文章に残されているものとしては、十五世紀、アルベルトゥス・マグヌスの著した『聖ゲノレ伝』がいちばん古いとされています。その後、歴史家たちに何度か取り上げられましたが、一般によく知られるようになったのは、十九世紀になってからです。

一八三九年、ヴィルマルケは民謡集『バルザス・ブレイス』の中でイスの町の伝承を紹介しましたが、それはかなり断片的なものにとどまっていました。その後一八四四年、スーヴェストルによってまとまった物語に仕立て直されると、当時の芸術家たちは、すっかりこの話に魅了されてしまいました。そして、グラドロン王の物語にインスピレーションを得た、さまざまな作品が生み出されたのです。

ラロは『イスの王様』というオペラを書き、ドビュッシーは『沈める鐘』(『前奏曲集』の中の一篇)を作曲しました。さらに、シャルル・ギヨはこれを小説化し、リュミネは『グラドロン王の逃走』という油絵を描いています。

こうした動きは、今に続いています。数年前にも、新たな研究書が出版され、民謡風の楽曲を集めたCDが出るなど、イスの町の伝説は、いまだ人々の想像力を掻きたてる力を失っていないようです。確かに、寄せては返す波の下に、壮麗な都がそっくりそのまま残っていると思うと、誰しも憧れに似た思いを抱かずにはいられないでしょう。

月の明るい晩、沖合いに出ると、いまでも水底から教会の鐘の音が聞こえるそうですよ。

水に沈んだイスの町(その2)

伝説のイスの町は、いったいどこにあったのでしょうか。

ロクロナンの西、ドゥアルヌネ湾の沖合いにあったと言われています。市の郊外には昔のローマ街道が海の中まで続いていて、実際に海に沈んだ町があったという話ですが、それがイスの町かどうかはわかりません。

水没した町の伝説はケルト文化圏に共通のテーマで、同様の話はアイルランドにもウェールズにも残されているということです。ただブルターニュでは、この話が特に人々の心を強くつかんだらしく、数々の後日談が伝えられています。例えば、アナトール・ル=ブラスが編纂した『バス・ブルターニュの死の伝承』には、次のような話が載っています。

ドゥアルヌネの入り江で漁をしていた漁船が、錨を上げようとしたところ、にっちもさっちも動かない。一人の漁師が様子を見に海に潜ってみると、錨は教会の窓枠に引っかかっていた。教会の中にはこうこうと明かりがつき、大勢の人が集まってミサが行なわれていた。

漁師はびっくり仰天して船に戻るが、あとから町の司祭に、「もしそなたがミサの答唱をしていれば、イスの町は蘇り、フランスの首都は変わっていたであろうに」と聞かされる。

この謎めいた司祭の言葉には、わけがあります。

水に沈む前のイスの町は、世界でいちばん美しい都でした。パリはかつてリュテシアと呼ばれていましたが、それがパリParisと呼ばれるようになったのは、par Is、つまりブルトン語で「イスに匹敵する」ほど立派な町だったからだ、といわれています。それについては、こんな諺があります。

パリの町が沈んだら、イスの町が蘇る。

この話の司祭はこの諺を逆手にとって、もしイスの町が蘇ったら、今度はパリが水に沈み、イスがフランスの首都になったはずだ、と言いたかったのでしょう。

もう一つ、こんな話もあります。

潮汲みをしようと海岸に下りていった女が、砂浜に立派な門が立っているのを見つける。その門をくぐると、商店の立ち並ぶ大通りが現れる。人々は声を嗄らして、品物を買ってくれと女に呼びかける。

女が、「どうやって買えばいいんだい。十円玉ひとつ、持ってやしないのに」と答えると、一人の商人が、「一円ででもいいから何か買ってくれたなら、この町の全員が救われたのに」と無念そうに言う。それともに、町の姿はかき消え、女はもとの砂浜に立っているのだった。

イスの町は沈んだけれど、神の呪いを受けた住人たちは、町が水没したときに自分がしていたことを永遠に繰り返さなければならないのです。布を売っていた商人は布を売り続け、糸を紡いでいたお婆さんは、糸を紡ぎ続ける。

このように、人間は死んでからも、生きていたときと同じことをしなければならないというテーマは、ブルターニュの他の伝承にも見られます。例えば、同じくル=ブラスが採録した話に、次のような話があります。

ある炭焼きが荒野で嵐に遭う。幸い、一軒の家を見つけ、その中に避難する。そこには三人の女たちがいて、一人はクレープを焼き、一人は金勘定をし、一人は骨を齧っている。だが、クレープは焼いたとたんに消えうせるので、女はいつまでもクレープを焼き続ける。金勘定をしている女はいつも計算を間違うので、また最初からやり直さなければならない。このように、三人は同じ動作を飽きもせず繰り返す。

夜が明けると家は消えうせ、男は偶然出会った隠者から、この三人は、生きているときふしだらな生活をしていたので、神様に許されるまで、死んでからもずっと同じ動作を繰り返さなければならないのだ、と聞かされる。

三人の女たちは、「一つ、いかがかね?」と、クレープやお金や骨を、炭焼きに差し出します。男は賢明にも、すべて断るのですが、もしそれを受け取っていたら今度は炭焼き自身が呪われていただろう、と隠者から明かされます。

しかし、イスの町の場合はその逆で、事情を知らない外部の人間がやって来て、人々の求めに応じない限り、呪いは解けないのです。

同様のテーマは、十三世紀のクレチャン・ドゥ・トロワの韻文物語『ペルスヴァル』にも登場します。森の奥の不思議な城で、杯と血の滴る槍の行列を目撃しながら、ペルスヴァルは「これはどういうことなのか」という素朴な疑問を口にしません。もし問いを発していたならば、城の主である漁夫王の傷は治り、救われていたはずだ、と聞かされますが、後の祭りでした。

主人公が肝心の言葉を言わなかったために、魔法が解けない。そこに、イスの町の伝説との類似を指摘する学者もいます。

水に沈んだイスの町(その3)

ブルターニュには、イスの町の伝説にちなんだ場所がいくつもあります。ドゥアルヌネの近郊にあるプルダヴィッドもその一つで、もともとその地名は、「ダユー(つまりアエス)の穴」という意味だったそうです。アエスが海に突き落とされた場所は、ここだとされています。

アエスゆかりの地は、内陸にもあります。ユエルゴア近郊には十メートルの滝があり、急流はその先で地下に潜っています。アエスと一夜を共にした若者たちは、朝になると仮面をかぶせられ、窒息させられたあと、黒装束の男たちによって運ばれ、この淵の中に投げ込まれたといいます。夜になると、若者たちの浮かばれない魂が幽霊となって、このあたりに出没するそうです。

カンペールに新しい都を築いたグラドロン王については、その姿をはっきりと目にするこができます。伝説によると、イスの町が沈んだあと、グラドロン王はカンペールを新しい都にして、立派な聖堂をつくり、ブルターニュ七聖人のひとりである聖コランタンに奉献しました。

現在の大聖堂は、十三世紀から十五世紀の建物です。二本の尖塔のあいだに、馬に乗ったグラドロン王の像があります。昔は聖セシルの日に、この像にシードルとワインが振舞われました。バグパイプ吹きが王様の首にナプキンを結び、お酒を飲む真似をさせ、広場に集まった群衆に向かってグラスを投げます。それを落とさずに取った人は、金貨百エキュのご褒美がもらえたということです。

さて、もう一人の脇役、聖ゲノレのその後ですが、聖人はグラドロン王からランデヴェネックの地を賜り、ここに僧院を立てて隠棲しました。この僧院は知識と文化の中心として、コルヌアイユ地方でひときわ明るい光芒を放ちました。けれども十世紀始め、ノルマン人の侵攻によって破壊され、僧たちは北のモンルイユ・シュール・メールに移住を余儀なくされたのです。僧院はその後、再建されますが、フランス革命で再び廃墟と化しました。その遺構は今も残っています。

内陣と袖廊の交わるあたりに、奇妙な四角い建造物があり、言い伝えでは、グラドロン王の墓だとされています。考古学調査では、十二世紀ごろのものと判明しました。柱頭に刻まれた人の顔は、グラドロン王を表していると言われています。

後平澪子

翻訳家。訳書に、ファーブル『身の回りの科学』(岩波書店)ほか。

参考文献

– De La Villemarqué : Barzaz-Breiz, chants populaires de la Bretagne, 1923, Paris.

– Guide de la Bretagne mystérieuse, 1966, Paris

– Le Braz : La légende de la mort chez les Bretons armoricains, 1923, 2vols. Paris.

– Le Loux et Guyonvarc’h : La légende de la ville d’Is, 2000, Rennes.

– 田辺保 『ブルターニュへの旅』1992年 朝日新聞社

– 原聖 『《民族起源》の精神史:ブルターニュとフランス近代』2003年 岩波書店

– 原聖 『ケルトの水脈』 2007年 講談社

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